「特攻」
特攻というのは、戦時中の「神風特別攻撃隊」という飛行部隊のことですが、何が特別だったかというと、片道の燃料だけを積んで敵に向かって突入していた。そうやって国と愛する家族のために命を捨てた若者に、涙する人は多いし、小泉さんもその一人でありますけれども、しかし、こういう非人間的で残酷な作戦を立案して、自分は行かずに若者たちを死に赴かせた指揮官たちまでが賛美できるわけではありません。
そういう戦争を、もう二度とやるまいと誓って戦後が始まりました。そして60年経ったわけですけども、小泉総理の靖国参拝に賛成する人たちが、よく「今の平和、今の暮らしというものは戦争中の犠牲者の上に立っているから、それを悼むのは当然だ」と言いますが、正確には、そういう犠牲を出した反省に基づいて戦後が始まったというのが本当のところだろうと思います。
そして、そういう犠牲を出し他国に迷惑をかけた非常に乱暴な戦争というものをやった、そういう事をやった指揮者、指導者たちまでを私たちは許しているわけではないと思います。もし、そういう人たちも肯定して悼むということになれば、戦後の60年の生き方、我々の国のあり方を変えるという事になります。
この問題、他国からいろんな事を言われていますけれども、一番肝心なのは、これから私たちがどういう国を60年を経て作っていくか、そのことを問われているのが靖国の問題であろうと私は思います。
帝国海軍の神風特別攻撃隊は昭和44年10月大西瀧次郎海軍中将によって立案されたとされる。そのため彼は「特攻の父」「特攻生みの親」などと称されるが、当初大西は「特攻は統帥の外道である」とし、特攻隊の編成には反対の立場をとっていた。実際、特攻の立案は黒島亀人軍令部第2部部長と軍令部によって推進されており、大西はそれに抗し切れなかったと言っていい。
1945年8月16日大西瀧次郎提督は、特攻作戦を実施するもなお敗れた責任をとるために、軍令部次長官舎にて切腹し、特攻隊員たちの後を追った。提督は切腹の際、自分を介錯することは許さず、「自分が送り出した部下たちへの責任を取る」と言って、約20時間苦しみ続けて世を去った。
大西提督の遺書
遺書
特攻の英霊に申す 善く戦いたり 深謝す。
最後の勝利を信じつつ 肉弾として散華せり。
然れどもその信念は 遂に達成し得ざるに至れり。
われ死をもって旧部下の英霊とその遺族に謝せんとす。
次に一般青壮年に告ぐ
我が死にして軽挙は 利敵行為なると思い、
聖旨に副い奉り、自重忍苦する戒めともならば幸いなり。
隠忍するとも日本人たるの矜持を失う勿れ
諸子は国の宝なり。平時に処し猶克く
特攻精神を堅持し、日本民族の福祉と
世界人類の和平のため 最善を尽くせよ
同じく特攻を指揮した宇垣纏海軍中将。昭和20年8月15日に終戦の報に接し、「多数殉忠の将士の跡を追い、特攻の精神に生きんとするにおいて考慮の余地なし」として周囲の制止を振り切り、敵艦隊へ向け彗星ほか数機により沖縄に出撃、海岸線に突入自爆した。
宇垣提督最期の電文
「過去半歳に亙る麾下各隊の奮戦に拘らず、驕敵を撃破し神州護持の大任を果すこと能はざりしは本職不敏の致すところなり。本職は皇国無窮と天航空部隊特攻精神の昂揚を確信し、部隊々員が桜花と散りし沖縄に進攻、皇国武人の本領を発揮し驕敵米艦に突入撃沈す。指揮下各部隊は本職の意を体し、来るべき几ゆる苦難を克服し、精強なる国軍を再建し、皇国を万世無窮ならしめよ。
天皇陛下万歳 昭和二十年八月十五日一九二四 機上より」
黒島亀人軍令部第2部部長、昭和40年肺がんにて天寿を全う。
特攻について軍事的効果は賛否両論があるだろうが、少なくとも作戦指揮官も断腸の思いだったと思うし、自らの死を以ってその責任をいくらかでも償おうという気持ちを表している。
国民年金の未払い問題で数週間謹慎したくらいで責任は取りましたと居直る筑紫が特攻の指揮官を許せないなどとは片腹痛いんだよ。
善良な国民は指摘されるまで年金を支払っていなかった筑紫哲也を未来永劫許さない