「仮想人間」
私たちはまあ動物の一種であって生身の生き物なのですが、その実感から遠ざかるように遠ざかるように自分たちの生活を組み立てています。「寒い」「熱い」あるいは「ひもじい」そして「痛い」というような感覚から遠ざかるような中で子供たちも育てられていくわけであります。
その一方では「仮想現実」と呼ばれるもの、つまり「現実に起きているのではないけど現実に見えるもの」というものが、現実の中に入り込む度合いというのがどんどん大きくなっています。今こうやってお話をしている「テレビ」というものもそういう意味を含んでいますけれども、そういう中で子供たちは生きていくと。
その中で女子高校生が同じ同級生に殺されたり、あるいは女子高校生が母親に毒を盛った疑いを持たれたりという、こういうことが続きますと大変もう胸が痛むわけですけど、しかも、この事件が起きる前に何か特異な兆候というものが見えない、そういう中でいろんなことが起きるというのが最近の特徴であります。
これはどうしてなのかということを私たちはこれから考えなければいけないのですが、もしかしたら、あの殺した高校生というのは「殺す」ということが本当に分かっていないのではないか? 犯行後の様子を見ていますと、そのまま平静だということがあります。
あるいは疑われた女子高校生も「毒を母親に盛る」という本当の意味が現実として分かっているのだろうか? つまり、非常にバーチャルな世界でそのまま生きているんじゃないかという恐れがあります。現実の中でどう生きるかということを子供共々、大人が考えるべきであります。
殺人に何でも理由や動機を持たせたがるのが似非人権派の悪い癖。
なんでも社会や親や学校やゲーム・映画の問題にしたがる。
しかし何万人の仲には生まれつき器質上の問題がある人間も存在する。
首を切って射精したサカキバラや首を絞めて死ぬ顔を見ながら勃起した前上、少女を焼いて骨を食った宮崎勤、小学生の死体から歯を抜いた小林薫、親に毒を盛って殺そうとした女子高生などなど。
こんな異常な事件は昔からあることで、女子高生が読んでいた毒殺魔もまさにそうだろう。
昔ならキチガイとして家・社会の中で抹殺されていたような異常遺伝子が現代のメディアの発達により全国的に大々的に取り上げられているだけ。
筑紫の感覚(ついでに仲良しの香山リカ)こそ世間とは隔絶されたバーチャルワールドに生息している仮想人間としか思えない。もう筑紫哲也は死んでいて、あの筑紫哲也はバーチャルなのかもしれないw